今回は宮崎勤の家族の現在について調べてみました。宮崎勤といえばあの凶悪犯罪が有名ですが、あの事件の後に家族はものすごい苦悩を抱えたという情報について調べていきます。
Contents
宮崎勤の生い立ちについて。
基本的な情報です。
名前:宮崎勤(みやざきつとむ)
人物紹介:1962年8月21日- 2008年6月17日の日本の元死刑囚。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の容疑者として逮捕・起訴され、死刑判決が確定し、刑死した人物である。
家族構成:祖父、祖母、両親、妹二人の7人
性格:引っ込み思案
育った過程:幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」に罹患し、当時は日本で症例が150程度の珍しい身体障害があったが、医者から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」と言われ、4歳の時に手術も考えたが、「もし手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と積極的な治療を受けさせなかった。
この情報からわかることがあります。
宮崎勤は手の障害を気にして極力目立たないように
過ごしていた。宮崎勤の生い立ち
それほどの異常性は感じないのどころか、ごく普通のシャイな青年幼い頃から抱えていた手の障害にまつわるコンプレックスは
をもっていた年を重ねるに従って大きくなっているような印象は見受けられます。
実はこの手の病気ということが水面下で話題となっています。
そのことは最後に考えます。
宮崎勤という人物は僕の世代の人(現在35~45歳くらいの人)には悪い意味でものすごくインパクトがありました。
引っ込み思案の性格だったのかあるいは両側先天性橈尺骨癒合症という病気が原因なのかは分かりませんが、歴史に刻まれる犯罪を犯しました。(ということになっています)
20世紀最大の凶悪犯罪とも言われています。
その犯した犯罪について次の段落で紹介します。
宮崎勤の起こした事件(宮崎勤事件)について紹介します。
宮崎勤の犯した犯罪について紹介します。
1988年から89年、昭和から平成にかけて4人の幼い少女を次々と誘拐し殺害した連続事件。
自らを「今田勇子」と名乗りマスコミ宛に送った犯行声明文が警察への挑戦とされ、4人を殺害した凶悪犯。
要約するとこのような感じです。まだ何も分からない小さい女の子を殺害した猟奇的殺害の連続です。現在の言葉でいえばサイコパスと表現されるんでしょうが、そんな一言で片付けられない凶悪犯罪者です。そしてこの宮崎勤の起こした凶悪犯罪が社会にもたらした影響も凄いです。次はそのことについて書いていきます。
宮崎勤事件が社会にもたらした影響とは?
この宮崎勤事件が社会にもたらしたことを紹介します。
宮崎がいわゆるおたく・ロリコン・ホラーマニアとして報道されたことから、同様の趣味を持つ者に対して強い偏見が生じた。
特に、宮崎が殺害後の幼女をビデオカメラで撮影、これらを膨大な数に及んだコレクション・ビデオテープの中に隠し持っていたという点で、現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、明確な規範意識の無さが犯罪に及ばさせたとみなされた
この事件以降はロリコンということがものすごく偏見が強くなりましたね。さらにここから気になることがあるのでそのことについて書いていきます。このような凶悪犯罪を犯した宮崎勤が事件後にとっていた行動が衝撃です。
事件その後の本人の行動とは?
宮崎勤が事件後に東京拘置所にいたときの行動が衝撃的です。宮崎勤はなんと自分が死刑になることを逃れようとしていたようです。またここでも異常なことがあります。
東京拘置所に入所してからは雑誌『創』の編集長に宛てて300通ほど手紙を出しており、その中のほとんどは拘置所内で鑑賞した漫画やDVDなどのタイトルだったようです。宮崎勤はスタジオジブリ作品などを好んで観ていたということです。
さらに死刑執行直前には「あのビデオまだ途中なのに…」というようなことを言ったという情報もあります。自分が犯した犯罪の罪の意識はなかったんでしょうか?このような発言をしていたということから反省はしていないと考えられますね。そしてこの事件の影響は宮崎勤の家族や親戚にも凄い影響を与えました。
宮崎勤事件のその後は家族や親族にも多大な影響があった?
この宮崎勤の事件は家族に相当な影響を与えました。
宮崎には両親の他に姉妹二人兄弟二人がいて、事件後、「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が大量に殺到した。
いったい宮崎勤の家族や親戚はどこまでこの事件の責任を感じていきればいいのだろうか?ということでここからは個別に書いていきます。
宮崎勤の父親はどうなったのか?新聞記者の感じていたことについて。
宮崎勤の父親はじさ●しています。
父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りを付けると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降りて亡くなった。
宮崎勤の父親についてはこのような情報もあります。
父親とかねてから交流があった新聞記者は、「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている。
宮崎勤が罪を償うのは当然ですが、もちろん父親もいろいろなことを言われたんでしょうね。それを見ていた新聞記者がこのようなコメントをするくらいですから。といことで続いていきます。
宮崎勤の母親と妹はどうなったのか?
宮崎勤の母親は宮崎勤の遺体の受け取りを拒否したといわれています。
宮崎勤の兄弟についての情報もあります。
長女は勤めていた会社を辞め、すでに結婚間近でしたが、自ら婚約を破棄しました。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれました。
本当に悲惨な目に家族があっています。
やはりあんな凶悪犯罪者の家族ということで指をさされたんでしょうね。
さらにそれは家族だけにとどまらずに親戚もひどい目にあっています
そんな親戚がうけたことについても情報があるので紹介します。
宮崎勤の父親には2人の弟がいます。弟の1人は5つの会社の役員でしたが全て辞職し、自身の会社を妻名義にして退職。もう1人の弟は離婚し、授かった2人の娘を妻に託し、妻の旧姓を名乗らせることに。また、母親の兄には2人の息子がいました。1人は警察官、もう1人は高校教師でしたが、退職しています。
やはり宮崎勤の家族や親戚ということでものすごいことを感じたり息苦しさを感じていたことがうかがえます。宮崎勤に事件を家族や親戚は許せないでしょうし、何よりも被害にあった子供の遺族はどんなことがあっても許さないでしょうし、ずっと心に辛い思いを感じて生きていると思いますね。ということで今回は宮崎勤の家族についてまとめてみました。
ただしこの事件については一部でこのようなことも言われています。
宮崎勤は手の病気というか障害を持っていた?!
宮崎勤の手の病気あるいは障害で事件を起こせたのか?という疑問です。
幼い頃から手首を回せず手のひらを上に向けられない「両側先天性橈尺骨癒合症」に罹患し、当時は日本で症例が150程度の珍しい身体障害があったが、医者から「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」と言われ、4歳の時に手術も考えたが、「もし手術して身障者のレッテルを張られたら、勤の将来に悪い結果となると判断し、そのままにした」と積極的な治療を受けさせなかった。
この情報から宮崎勤が少女を誘拐して●したことになっていますが・・・
疑問点が残ります。
実行できないのではないか?
あるいは共犯者がいたのではないか?
しかしそのことを確認することはできません。
宮崎勤が●刑であの世にいったからです。
この事件は実は共犯もしくは黒幕がいたのであればそのことを追求できない恐ろしさもあると僕は思います。
今回の記事はここで終わりです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。